
━━ 第一章(1923〜1938)━━
大阪に生まれて
1923年(大正12年)、大阪に生まれた伊吹まり。
活発で快活な「はみ出す」子ども時代だった。
─ 父が買ってくるおはぎの記憶
父・吉蔵が仕事帰りに買ってくるおはぎが大好きだった。
この頃からおはぎを食べては「まんたんまんたん」と口にしていた。
─ のちの夫との出会い
苦労しながらも懸命に働いていた。ここでのちの夫、相良利徳と出会う。
利徳の母・鷹江に仕事や家事の小言を言われる日々に辟易としていた。

━━ 第二章(1938〜1943)━━
東京での日々
心機一転、相良屋を離れ東京に移住。
まりを追って東京に来た利徳とともに和菓子屋の道を歩むことを決意する。
─ 利徳のプロポーズ
雅代のもと居候として過ごしていたところ、大阪からまりを追ってやってきた利徳がプロポーズ。
また、夫婦として2人で和菓子屋を開業することを決意する。
─ 「まんたんどら焼き」の誕生
お店は「まり」と利徳のあだ名「とっつぁん」をあわせて「まりとっつ庵」としてスタートした。
─ 開店、そして戦雲

━━ 第三章(1943〜1959)━━
試練の時代
店が軌道に乗りはじめた矢先、戦時下の影がまりと利徳の暮らしにも差し込む。
空襲による被害や物資不足が続くなか、まりは店を守るため苦しい決断を重ねていく。
やがて「伊吹屋」と名を改め、次の時代へつなぐ一歩を踏み出した。
─ 残された言葉を胸に
利徳は「必ず帰る」と言い残して戦地へ向かい、まりはその言葉を胸に暖簾を守り続けた。
戦況が厳しさを増すにつれ、店のまわりにも不穏な報せが広がっていく。
先の見えない日々のなかでも、まりは毎朝店先に立ち続けた。
─ 伊吹屋としての再出発
しかし世は終戦直後、深刻な砂糖不足により和菓子店としての営業は困難を極めた。
まりは配給のサツマイモやカボチャを加工した「代用菓子」を細々と販売し、店の暖簾を守り続けた。
代用菓子の利益は決して多くなかったというが、それも子どもたちの笑顔のためにというその一心でお菓子を売り続けた。

━━ 第四章(1960〜1979)━━
新しい甘味への挑戦
戦後の再出発を経て、伊吹屋では生クリームを取り入れた新しい菓子づくりが始まる。
当初は手探りの日々が続いたが、思いがけない出会いが店に追い風をもたらしていく。
後に看板商品へとつながる試行錯誤の時代。
─ 冷蔵ショーケース導入
冷蔵ショーケースの導入により商品の幅が増え、新たなお菓子と共に新装開店した。
─ 転機が訪れるころ
さまざまな工夫を重ねるもののどれも売り上げには直結せず、試行錯誤は続く。
そんな甲斐もあってか、千本松傑の目に留まり伊吹屋は全国へ名を轟かせるのであった。

━━ 第五章(1990〜1993)━━
はみ出す力刊行
マリトッツォのブームも程よく落ち着いた頃。
山あり谷ありのまりの人生はまたもや数奇な出逢いによって世へと出ることになった。
─ まりの言葉が一冊の本になるまで
そこに帝文社の書籍編集者であった林久子が現れる。
まりが見て来た世界、まりと利徳が描こうとした未来、まりが残して来た数々の言葉が一つの作品として刊行された。
■ 連続テレビドラマ「まりとっつぁん」
伊吹まりの半生を描いた連続テレビドラマ「まりとっつぁん」は、放送されました。
大阪に生まれ、主人公・まり。持ち前の「はみ出す力」で困難を乗り越え、人々の心をあたたかく満たしていく姿が共感を呼びました。
■ 『はみ出す力』刊行中
『はみ出す力』表紙
編集(聞き書き):林久子
出版:帝文社
「はみ出すのは、悪いことなんか?」
伊吹まりの半生、マリトッツォとの歩みを刻んだ一冊を刊行。
幼少期から利徳との出会い、マリトッツォ誕生から現在に至るまでを数々の本人の言葉と共に辿る。
■ 記念館のご案内
| 開館時間 | 10:00〜16:00(水・土・日曜日のみ開館) |
| 入館料 | 無料 |
| 運営 | 公益財団法人 伊吹はみ出し財団 |
| お問い合わせ | ![]() |
開館時間
10:00〜16:00(水・土・日曜日のみ開館)
入館料
無料
運営
公益財団法人 伊吹はみ出し財団
お問い合わせ

▶ 併設:コミュニティスペース「栗夢庵」
2000年オープン。読書会・勉強会・地域交流会などにご利用いただけます。
| 利用料 | 1時間500円〜(要予約) |
| 収容人数 | 最大15名 |
| お問合せ | 上記お問い合わせ先まで |
■ 初代館長あいさつ
「お菓子で人を幸せにする」――その信念を胸に、マリトッツォに自身の半生を捧げ、晩年は食育や児童福祉に尽力した伊吹まり。
実は私も、かつてそんな彼女に救われた児童の一人でした。
都内で執り行われた彼女の追悼会には、私と同じように彼女から多くの笑顔を受け取った人々が集いました。
そこで「マリトッツォの生みの親である伊吹まりの業績と生涯を後世に伝える」ための場を設けることが決定され、多くの皆様のお力添えのもと、2000年に本記念館は開館いたしました。
伊吹まりがお菓子に託した不屈の精神と、次世代を担う子どもたちへの想いは、今なお色褪せることなく、私たちの心にあたたかな火を灯し続けています。
伊吹まりが亡くなる前日まで作り続けていたマリトッツォ。その美味しさが、これからも多くの人々の心を“まんたん”にし、笑顔あふれる世の中をひらいていくことを願いながら、伊吹まり記念館はこれからも彼女の物語を紡ぎ続けてまいります。
伊吹まり記念館 初代館長
林 久子



